今月のメッセージ

戦後75年 日本カトリック司教団平和メッセージ


     すべてのいのちを守るため
    ──平和は希望の道のり──

   日本の教会の兄弟姉妹とすべての善意ある人々へ

 日本のカトリック司教団は、戦後50年に『平和への決意』、60年に『非暴力による平和への道──今こそ預言者としての役割を』、そして70年に『平和を実現する人は幸い──今こそ武器によらない平和を』と、その時々の国内外の情勢に鑑みながら平和メッセージを発表しました。
 2019年の教皇フランシスコ訪日から明けた今年は、太平洋戦争での沖縄戦、広島・長崎の被爆、戦争の終結、そして国際連合創設75周年です。世界は今、新冷戦、東アジアの不安定な情勢、核の脅威、地球環境の危機などが予断をゆるさない状況にあります。
 本日、わたしたち司教団は、沖縄慰霊の日の平和巡礼への参加を予定していましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止せざるをえませんでした。しかし、心は常に沖縄の人々とともにありたいと願っています。沖縄に建つ戦争犠牲者に対する慰霊と不戦の誓いの原点である魂魄の塔に想いを馳せ、平和についてのわたしたちの考えを述べ、これからの行動指針としたいと思います。

1.魂魄の塔に思いを馳せる
 終戦の年、沖縄は本土決戦を一日でも遅らせるための「捨石」とされ、住民を巻き込んだ悲惨な地上戦が繰り広げられました。歴史上、最も凄惨な戦闘と言われるこの沖縄戦では、日米両軍が我が物顔でこの小さな島のありとあらゆるものに対し、蹂躙の限りを尽くしました。鉄の暴風ともよばれる激烈な戦闘の後には、戦争犠牲者の遺骨が累々と野ざらしにされていました。この遺骨を住民たちが自らの手によって集め、慰霊碑を建て、祈りの場としました。
 この「魂魄の塔」は、数ある慰霊碑の中でも特別な意味を持っています。元々は住民自らの手によってなされた遺骨収集による骨塚でした。それが、やがて沖縄の人々の戦争犠牲者に対する慰霊の原点と見なされるようになり、さらに、名もないごく普通の人々の反戦平和への希求の原点、不戦の誓いの原点ともなっているのです。
 沖縄県平和祈念資料館の出口に、「むすびのことば」として次のように刻まれています。
(略)戦争をおこすのは たしかに 人間です しかし それ以上に 戦争を許さない努力のできるのも 私たち 人間 ではないでしょうか (略) これが あまりにも大きな代償を払って得た ゆずることのできない 私たちの信条なのです
 戦争、基地、軍備増強に反対する沖縄の人々の切実な叫びは、「戦争というものは これほど残忍で これほど恥辱にまみれたものはないと思う」に至った沖縄戦の体験からきているのです。しかし、こうした沖縄県民の信条の訴えにもかかわらず、この沖縄を「捨石」とした扱いは75年を経てもなお、その自己決定権を無視するという事実をもって脈々と続けられています。
 あらゆる戦争を憎み、命を大切にしようとする沖縄県民の訴えに応え、今日、「魂魄の塔」に思いを馳せて、すべての戦争犠牲者のために祈りを捧げつつ、平和希求への決意を新たにし、行動を起こしましょう。
 人のいのちは何ものにも替えがたいとする沖縄の「ヌチドゥ宝」の心と、「すべてのいのちを守るため」という教皇フランシスコ訪日のテーマは重なっています。「いのちと美に満ちているこの世界は、何よりも、わたしたちに先立って存在される創造主からの、すばらしい贈り物」です。「『わたしたちが、自分たち自身のいのちを真に気遣い、自然とのかかわりをも真に気遣うことは、友愛、正義、他者への誠実と不可分の関係にある』(回勅『ラウダート・シ』)のです」。それゆえ、戦争だけは、どんな理由があっても絶対に起こしてはなりません。わたしたちキリスト者は、こうした沖縄の人々の叫びと教皇フランシスコの言葉に共鳴し、戦争放棄と恒久平和を訴えます。「すべての人との平和」7こそ、神の望みだからです。

2.カトリック教会の非暴力による平和への立場
 聖ヨハネ・パウロ二世教皇は39年前(1981年2月)広島で、次のような力強いメッセージを述べました。
 「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。……過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです。……人類同胞に向かって、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。」
 このアピールに応えて、日本の司教団は、翌年、平和について考え、平和のために祈り行動するため「平和旬間」(8月6日~15日)を設け、平和や人権の問題について積極的に発言し始めました。
 日本司教団の発言は、2017年「世界平和の日」の教皇メッセージと重なります。教皇は、「積極的非暴力」の立場を表明して、「非暴力がわたしたちの決断、わたしたちの人間関係、わたしたちの活動、そしてあらゆる種類の政治の特徴となりますように」と述べています。
 またこの立場は、同年8月に教皇が『カトリック教会のカテキズム』の死刑に関する記述を変更し、「死刑は許容できません。それは人格の不可侵性と尊厳への攻撃だからです」と、死刑廃止の立場を明確にしたことにもつながります。
 さらに同年9月20日、バチカンは、核兵器禁止条約に他の2カ国と共に最初に署名・批准し、11月には国際シンポジウム「核兵器のない世界と包括的軍縮の展望」を主催しました。その場で教皇は次のように述べました。「核兵器使用の脅威、またその保有自体も、断固非難されるべきです。……その意味で、被爆者のかたがた、つまり、広島と長崎の爆弾で被害を受けた人々、また核実験による犠牲者の証言は貴重です。そのかたがたの預言的訴えが、とりわけ若い世代にとって、警告となるはずです」。「核抑止論」については、聖ヨハネ23世教皇がすでに回勅『地上の平和』(1963年)の中で次のように述べています。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります。わたしは、これが到達可能な目標であることを主張します」。

3.教皇訪日平和メッセージ
 昨年11月、教皇フランシスコは、平和の巡礼者として「すさまじい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い起こし、現代社会の人々の願いと望みを胸にしつつ、じっと祈るため」、長崎と広島を訪れました。教皇は、誰よりも平和を希求する高齢化した被爆者たち、「平和のために自らを犠牲にする若者たちの願いと望み」、「いつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者」である「貧しい人たちの叫び」、「声を発しても耳を貸してもらえない人たちの声」、「現代社会が置かれている増大した緊張状態……を、不安と苦悩を抱いて見つめる人々の声」、小さくともつねに軍備拡張競争に反対する声といった、さまざまな声を代弁して世界に訴えました。教皇は誰をもはばからず、平和という究極のモラルに向き合い、特に軍備と核兵器について踏み込んだ強いメッセージを述べました。「軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。……武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これらは天に対する絶え間のないテロ行為です」 。「戦争のために原子力を使用することは、……これまで以上に犯罪とされます。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反する犯罪です。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の所有は、それ自体が倫理に反しています」。
 そして、教皇はすべての人々に呼びかけます。「核兵器から解放された平和な世界。……この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。」カトリック教会にとって、「民族間、また国家間の平和の実現」に向けて努力することは、「神に対する、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。」教会は、「核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際条約に則り、たゆむことなく、迅速に行動し、訴えていきます」。
 
 教皇のこの発言に呼応して、日本カトリック司教協議会は、昨年12月、会長名の文書で、首相宛てに「核兵器禁止条約への署名・批准を求める要請」を行いました。米国カトリック司教協議会国際正義と平和委員会も教皇フランシスコの広島・長崎での発言を支持し、「米国は非核化・軍縮の先頭に立つべきである」と政府に働きかけていくとの声明を発表しました。またカナダとドイツの司教団は、すでに昨年、バチカンの核兵器廃絶方針を支持する声明を出していましたが、最近の教皇の姿勢に促されて、核抑止政策に甘んじてきた態度を改めると表明しています。

4.平和は希望の道のり
 今年は、朝鮮戦争開戦70周年でもあります。同じ民族が戦うという悲劇も、35年に及んだ日本による朝鮮統治政策と無関係ではありません。朝鮮戦争は今なお禍根を残し、日本を含む東アジアは冷戦体制を引きずり、大国の利害の狭間で戦争の火種を抱えており、平和への進展が不透明のままです。東アジアの平和構築にいかに貢献していくかは、わたしたち日本の教会が教皇フランシスコの言葉に従うことができるか否かを明らかにする試金石だといえましょう。そのためにもわたしたちはこうした過去としっかりと向き合い、将来に対する責任を担い続ける決意を新たにするものです。
 教皇は今年の「世界平和の日」メッセージで、平和への歩みは「障害や試練に直面する中で歩む希望の道のり」、つまり、「真理と正義を求め、犠牲者の記憶を尊重し、報復よりもはるかに強い共通の希望に向けて一歩ずつ切り開いていくという、忍耐力を要する作業」と述べました。そして、「たとえ克服できそうもない障害に直面しても、わたしたちを踏み出させ、前に進む翼を与えてくれる」希望の徳をもって、「神という共通の源に根差した、対話と相互信頼のうちに実践される真の兄弟愛を追い求めなければなりません。平和への願いは、人間の心に深く刻まれています」と、平和を実現するために、希望の翼を広げるよう促しました。パウロが、「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」(コロサイ3・15)と勧めているとおりです。
 激戦地、安里に建つ教会に集う方々、および各地の共同体と心をひとつにして、神に願い求めます。教皇フランシスコの日本訪問によってわたしたちがいただいた平和への意志と希望に、イエス・キリストの復活のいのちと聖霊の息吹が豊かに注がれますように。
       2020年6月23日
                       
日本カトリック司教団

「新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り」
          
2020年4月 日本カトリック司教協議会認可

平和の輪
フランシスコ教皇訪日記念ミサ

『今月のメッセージ』 2020年 8月



  求められる「新しい信仰様式」
         カトリック草薙・清水教会主任司祭 髙橋愼一神父

高橋愼一神父

 新型コロナウイルス感染の影響は、世界各国の様々な分野のみならず、日本のカトリック教会関係者にも及んでいます。今月は、東京教区の晴佐久昌英神父様とイエズス会の片柳弘史神父様とのオンライン上での対談(求められる「新しい信仰様式」。上智大学ソフィア会、5月31日。YouTubeで視聴可能)を静清地区の皆さんと共に、信仰者としての視点に気づかされたいとの思いから取り上げさせて頂きました。
 晴佐久、片柳両神父様においても、コロナウイルス対策の為に、これまで従事して来られた司祭としての活動が、ほとんど何も出来なくなる状態に突入してしまっているとのお話でしたが、お二人とも、先が読めない困難の中で、思いがけず過ごした静かな生活において、今までの司祭生活を振り返ることが出来たのは大きな恵みであったとお話になっていました。

 片柳神父様は、フランシスコ教皇の言葉(2020年3月27日新型コロナウイルスの感染拡大にあたっての「特別な祈りの時」カトリック中央協議会ホームページ)を、振り返り、「なぜ怖がるのか。まだ信仰がないのか」(マルコ4:40)と、突風によって沈みそうになる船の中で慌てる弟子たちを励ましたイエス様の声が、教皇様によって、私たちの今の状況に向けられていると感じたことをお話になり、 今の時期を、世界文学全集を読む等して心を養う時間に高めていらっしゃるとの事でした。

 晴佐久神父様は、感染の状況の中で、互いに離れていても、ちゃんとつながっているということが大切であることをお話になったうえで、今回のコロナウイルスによる危機の体験は、過去に起こった地方的な災害や戦争と異なり、地球上全ての人類が共通して体験し、乗り越えるために助け合いの大切さを学ぶ機会となっていて、私たちは、この未曾有の体験を通して、かえって世界を良いものに変えていくチャンスがあるという気づきを持つことが大切であるとお話になっていました。

 また、片柳神父様は、コロナウイルスという困難な状況に対しての究極のポジティブシンキングを、十字架上のイエス様に倣うことであるとお話になりました。十字架という理不尽な苦しみに直面したイエス様が、「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」(マタイ27:46、マルコ15:34)と、お祈りされている姿には、苦しみを乗り越える鍵は、安易な答えには無いことが示されていることをお話になり、苦しみの意味は、イエス様ですら分からなかったことではあるけれども、同時にイエス様は、神に希望を持つことの大切さを十字架上で示されたのであり、そのイエス様の姿のうちに、コロナで苦しむ私たちが希望を持ち続けることが大切と仰っていました。

 晴佐久神父様は、コロナウイルスのもたらした困難の中にある共同体への励ましの言葉として、「人類は、他者への共感、愛する人への犠牲によって歴史の中を生き延びて来られたのだから、互いに「この人と出会えてよかった」「この人と苦しみを共有したい」「本当に辛いときは、必ず助け合おう」と言うことができる共同体が、絶対に必要であると思う。
もし、共同体のメンバーが、目先の利益だけを求め、サロンみたいに噂話をしているだけで、ちゃんとした人間関係を作っていないのであれば、それこそコロナの思うつぼになる、暖かいコミュニティーを持っている人がコロナの時代には、とっても強いのです。」とアドバイスされていました。

  わたしは、二人の対談をお聞きして、ギリシャ神話の「パンドラの箱」を思い出しました。パンドラは、ゼウスによって禁じられた箱を開けてしまいます。中からは人を不幸にする全ての災難が飛び出してしまい、それから人類は、戦争、疫病、飢饉などに苦しむことになりました。しかし、箱の中には、「希望」という最も大切な宝だけが残っていたそうです。この神話は、私たちに希望の大切さをおしえているのでしょう。コロナウイルスの感染による困難の中でも、希望をもって信仰の道を共に歩みましょう。

晴佐久神父

  東京教区 晴佐久昌英神父

教皇来日シンボル


片柳神父

   イエズス会 片柳弘史神父

更新履歴

2018.05.01

新規公開しました。

カトリック静清地区共同宣教司牧委員会