教皇メッセージ
「2022年復活祭メッセージ」(ローマと全世界へ)
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、主のご復活おめでとうございます。
十字架につけられたイエスが復活されました。イエスの死を悼み、家に閉じこもり、恐れと苦悩に満ちている人々、そのような人々のただ中にイエスは立っておられます。イエスはその人々のところに来て言います。「あなたがたに平和があるように」。イエスは両手両足にある傷、脇腹にある傷を見せます。その人は幽霊ではありません。正真正銘のイエスです。十字架で死に、墓に横たえられたその人、イエスです。信じられないといった様子の弟子たちに、イエスは重ねて言われます。「あなたがたに平和があるように」
わたしたちも戦争の中で迎えたこの復活祭を信じられない思いで見ています。わたしたちは、あまりにも多くの流血と暴力を見てきました。わたしたちの心も恐怖と苦悩に満ちています。多くの兄弟姉妹が爆撃から身を守るために閉じこもらなければならないのです。イエスが本当に復活し、死に打ち勝ったということを信じることが難しくおもわれます。これは錯覚なのでしょうか。わたしたちの想像の産物なのでしょうか。
いいえ、錯覚ではありません。東方教会の信徒たちにとって大切な復活祭の宣言が、今日、かつてないほど鳴り響いています。「キリストは復活された。まことによみがえられた」。果てしなく続くように思われた四旬節の終わりに、今日、わたしたちはかつてないほど主を必要としています。2年間のパンデミックを経て、深い痕跡が残っています。それは、手を取り合って、力を合わせて、ともにトンネルから抜け出る時だったのです。しかしながら、わたしたちのうちにはまだイエスの霊ではなく、カインの霊があるのです。アベルを兄弟としてではなく、ライバルとして見て、いかにして彼を排除しようかと考えるカインの霊が、わたしたちのうちに宿っていることを示しています。わたしたちは、愛の勝利を信じ、和解を願うために、十字架につけられ復活した主を必要としています。今日、わたしたちはかつてないほど、主がわたしたちの中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と繰り返し告げてくださることを必要としています。
(中略)
兄弟姉妹の皆さん、わたしたちの生活に、家庭に、国に、キリストの平和を迎え入れようではありませんか。 残酷で無意味な戦争に引きずり込まれ、暴力と破壊によって傷めつけられたウクライナに、平和が訪れますように。この苦しみと死の恐ろしい夜に、新しい希望の夜明けが早く訪れますように。平和のための決断がなされますように。人々が苦しんでいるときに、力で威嚇するようなことはやめましょう。どうか、戦争に慣れてしまわないでください。平和を希求することに積極的に関わりましょう。バルコニーから、街角から、平和を叫びましょう。「平和を!」と。各国の指導者たちが、人々の平和への願いに耳を傾けてくれますように。約70年前に科学者たちは穏やかでない問いかけを投げかけました。「わたしたちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか」(ラッセル・アインシュタイン宣言、1955年7月9日)。この問いかけに指導者たちが耳を傾けてくれますように。
ウクライナの多くの犠牲者、何百万人もの難民や国内避難民、引き裂かれた家族、独り残された高齢者、失われた生活、壊滅した都市、そのすべてをわたしは心に刻んでいます。戦争で孤児になり、逃げてきた子どもたちの姿が目に浮かびます。飢えや十分な医療を受けられずにいのちを落とす子どもたち、虐待や暴力の犠牲となっている子どもたち、生まれる権利を奪われた子どもたちなど、世界中で苦しんでいる多くの子どもたちの叫びが聞こえてきます。
戦争の痛みの中にも、ヨーロッパ各地で多くの家庭や地域社会の扉が開かれ移住者や難民を受け入れているという、勇気づけられる兆しもあります。こうした多くの慈愛に満ちた行いが、時に利己主義や個人主義によって荒廃するわたしたちの社会にとって恵みとなりますように。そしてすべての人が受け入れられる社会となることを祈っています。
ヨーロッパでの紛争を通じて、わたしたちが世界の多くの地域で起こっていることにも関心の目を向けるようになりますように。あまりにも多くの地域で紛争状態があり、苦しみ、悲しみがあります。見過ごすことができず、忘れてはならない状況があります。
(中略)
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、すべての戦争は全人類に影響を与え、死別や難民の悲劇、経済危機や食糧危機にいたるまで、さまざまな後遺症をもたらします。その兆候はすでにわたしたちが目にしているところです。絶え間なく続く戦争の兆候、そして人生における多くの痛ましい敗北を前にして、罪、恐れ、死に打ち勝ったイエス・キリストは、悪と暴力に屈しないようにとわたしたちを励ましているのです。兄弟姉妹の皆さん、キリストの平和において勝利をおさめましょう。平和は可能です。平和は義務です。平和はすべての人が責任を持って第一に優先するべきものです。 2022年4月17日 ヴァチカンにて

『今月のメッセージ』 2022年 5月
「清水教会建設委員会より」
清水教会建設委員会 副委員長 村岡明代
2015年に持ち上がった清水教会施設建設について、諸事情によりだいぶ遅れていましたがやっと建設の目途が立ち、一度は解散した建設委員会もメンバーを一新して発足いたしました。近隣教会の皆様、特に草薙教会の皆様には大変なご迷惑とお世話をお掛けし心苦しい思いと共に、感謝の念でいっぱいです。まだ完成までかなりの時間を要すると思いますがどうぞよろしくお願いいたします。
先に記した通り、昨年12月に新建設委員会が教区から認定されたことにより、コロナ禍に配慮しつつ、昨年12月18日に教区建設委員会顧問の谷脇神父様をお迎えし、今後の進め方を教わりました。それに基づき今は「清水教会のビジョン」と「建設の理念」を策定しているところです。「清水教会ビジョン」はすでに2019年に作られていたため、建設委員会では「建設の理念」を中心に話し合い教区に提出し、現在は教区建設委員会と司教顧問会で検討していただいているところです。教区からの許可が下り次第次の段階に進むべく、拡大建設委員会を開催し(拡大~とは教区建設委員会メンバーと担当司祭である谷脇神父様が一緒に建設委員会に参加するものです)基本計画に入ります。
私たちの話し合いの中で出てきたことの一つに、隣接する保育園の園児達に教会を利用してもらい、神様のお話を聞いたり、神父様を身近に感じてもらう事は大切だということがありました。そこで建設委員会では、伊東教会のマルシャン神父様(パリ外国宣教会)をお招きし、「幼児の宗教教育に相応しい聖堂」についてお話を伺いました。マルシャン神父様は最初に、教会は何のために有るのかを考えましょうと述べられました。それは【イエス様の死と復活を記念し、賛美と感謝をささげるため】そして【イエス様の体になろうと意識する⇒共同体の一員である(ひとつの家族)】ということです。
聖堂を考える時には、聖週間の典礼を基にして飾りや祭具を考えるべきと神父様は仰います。まず聖木曜日は最後の晩餐を記念する日。イエス様が弟子たちと食卓を囲みパンとぶどう酒をささげて死と復活の記念を制定した日です。ここで重要な食卓は祭壇とつながります。祭壇は大きくある必要はなく皆で囲める小さなものが良いそうです。聖金曜日はご受難の日。私たちは十字架の礼拝を行います。その十字架は聖堂の壁に固定ではなく、普段は内陣に掲げられていても聖金曜日にはそれを降ろして礼拝できる移動可能にすることを勧めるとのこと。会衆が座る椅子や内陣の祭壇や朗読台は用途に応じて置き方を変えられる方が使い勝手が良い。ほかにも様々な細かい部分に触れ、大変参考になりました。
子供たちには聖堂に来て「美しい」や「ふしぎ」を見て欲しいし「心あるもの」を感じ取ってもらいたいとも。最後に、聖堂は個人的に祈るところではなく、共同体として祈るところです。日曜のミサが第一ですと仰り、これから聖堂を作るため、一つ一つの意味を考えながら皆で心を合わせていきましょうとお話を結ばれ、ユーモアを交えたお話の1時間半はあっという間に過ぎました。聖堂は聖週間の典礼を基に考えるというお話は私にはとても納得のいく点でした。
信徒の皆さんの中にはいつ頃できるのかと待ち遠しく思われている方も多々おられると聞いています。一日も早く完成を見たいという気持ちは同じです。皆さまのお祈りをお願いします。
更新履歴
2022. 5.01
2022. 4.01
2022. 3.01
2021.12.01
2021.4.01
2021.3.01
2021.2.01
2020.11.01
2020.10.01
2020. 8.01
2020. 7.01
2020. 2.01
2020. 1.01
2019. 12.01
2019. 11.01
2019. 10.01
2019. 9.01
2019. 7.01
2019. 6.01
2019. 5.01
2019. 4.01
2019. 3.01
2019. 2.01
2019.1.01
2018.12.01
2018.11.01
2018.05.01
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