今月のメッセージ

ローマ教皇フランシスコのメッセージ

2019年平和旬間 日本カトリック司教協議会会長談話

平和は「すべての人の全人的発展の実り」

 1981年2月25日、聖ヨハネ・パウロ二世教皇は、広島で鮮烈な平和アピールをなさいました。そのアピールに呼応して日本の教会は翌年から「日本カトリック平和旬間」(8月6日~15日)をもうけて、平和について考え、平和のために祈り行動するよう努めてきました。「広島平和アピール」から38年9カ月後の今年11月、教皇フランシスコが日本を訪問され、新たな平和メッセージを世界に向けて発信してくださるものと期待しています。

 教皇フランシスコは、就任以来、折に触れて平和と核兵器廃絶について発言してこられました。2017年7月7日、国連総会で「核兵器禁止条約」という画期的な条約が採択されました。これに先立つ3月23日に、教皇は国連総会に次のようなメッセージを送られました。テロ、軍事力の差のある者同士の紛争、情報の安全確保、環境の問題、貧困などは、複雑に絡み合って、現代世界の平和と安全を脅かしています。しかし核の脅威はそのような課題に効果的に応えることはできません。恐怖に基づく安定は、実際には恐怖をさらに増し、諸国民の信頼関係を損なうだけです。もしそうなら、その安定をどれだけ維持できるか自問すべきです。

  「国際平和と安定は、互いの破壊または全滅の脅威とか、単なる力の均衡の維持といった、誤った安心感の上に成り立ち得ません。平和は、正義、人間の全人的発展、基本的人権の尊重、被造物の保護、すべての人の社会生活への参加、諸国民間の信頼、平和を重んじる制度の促進、教育と福祉の恩恵に浴すること、対話と連帯の上に築かれなければなりません。」なお、バチカンは「核兵器禁止条約」を最初に批准した三カ国の一つですし(9月20日)、11月には国際会議「核兵器のない世界と総合的軍縮への展望」を主催しました。

 教皇フランシスコによると、「すべての人の全人的発展」とは、諸国民の間に経済格差や排除がないこと、社会がだれ一人排除されず、だれもが参加できる開かれたものであること、人間の成長発展になくてはならない経済、文化、家庭生活、宗教などが保障されること、個人が自由であると同時に共同体の一員であること、一人ひとりに神が現存されることなどを意味します。平和は、この「すべての人の全人的な発展の実り」として生まれるのです(使徒的勧告『福音の喜び』219)。従って、世界の平和と安全を築き確かなものとするためには、核兵器廃絶によって核の脅威を払拭するだけではなく、それと同時にすべての人があらゆる面でより豊かにされていく必要があるということです。

 教皇とともに、核兵器廃絶の実現を求めつつ、すべての人の全人的発展に深くかかわることによって平和をつくっていくことができるよう、平和の神に熱心に祈り、それぞれができることから始めるようにいたしましょう。

2019年7月7日
         日本カトリック司教協議会会長     カトリック長崎大司教 髙見 三明

フランシスコ教皇

『今月のメッセージ』 2019年 8月




「ミサの喜び」
 
                  カトリック千代田教会 信徒 鈴木直子

和野信彦神父

 私は、千代田教会信徒鈴木直子と申します。初めて投稿させていただきます。
担当者から、静清地区5教会の教会報巻頭言の原稿に何を書いても任せると言われましたが、「もしよければ、ミサについての直子さんなりの思いを書いてみたら」と助言をいただき、私のミサへの思いを書いてみます。
 
 静清地区でも昨年から5教会で「司祭不在の集会祭儀」が月の第5日曜日に行われるようになりました。そんな状況の中で、私はもう一度ミサへの思いを考えました。ミサと集会祭儀の大きな違いは、「聖変化」が行われるか、行われないことだと思います。
私が、ミサの中で一番意識して参加するのは、パンと葡萄酒が奉納される時です。祭壇へ運ばれるパンと葡萄酒に、今の私の心を乗せて捧げようと心掛けています。悩み、喜び、心配、感謝を一緒に祭壇へ運んでもらい、そこでそれらすべてが、司祭の手を通して聖変化され、聖別された食べ物として私の体と一体になってくれることを感じられるようになりたいという思いがあるからです。
 
 ある黙想会の指導司祭から、「パンと葡萄酒には皆さんの一週間の生活そのものが込められています。仕事の大変さ、生活の中の喜び、苦しみ、悲しみすべての思いを乗せて奉納されるのです。」と言われ、はっと思いました。私は単にパンと葡萄酒を担当の方が祭壇に運んでいるだけと思っていましたが、ミサの中で司祭の唱える「神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるパンは あなたからいただいたもの、大地の恵み、労働の実り、わたしたちの いのちの糧となるものです」
 
 この言葉に心を寄せます。奉納されたパンと葡萄酒は、司祭の手を通して聖変化されキリストの血、キリストの体となり食べ物として私たちの体の中に入りひとつになるのです。この話を聞き、心を寄せ一週間の思いを捧げミサに参加できた時の喜びは大きな恵みでした。マタイ18章20節「二人また、三人がわたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいる」この聖書のみことばはわたしにとって信仰の元、心そのものです。聖書は生きたみ言葉です。
 
 千代田教会は主日のミサに集まる人は30人前後の小さな共同体です。イエス様の名のもとに集められた共同体と、ともに捧げられるミサは、私にとって癒しそのものです。
 私は、ミサは、ただ過去の出来事の記念として捧げられるものでは無く、キリストの現存を信じ、ゆるしを願い、み言葉に心を寄せ、祈り、思いの全てを奉納し、聖変化された聖体を自分の中にいただき、イエス様と一致することの神秘を信じ、今、自分の中にキリストを迎えられる喜びを、唯一感じられるのです。
 多くの人たちが、ミサの神秘に出会い、現存するイエス様と一致する喜びに満たされるように心から願っています。 

ミサ・聖変化

    ミサの中心 聖変化

    8月の静清地区サマーキャンプで

奉納行列


更新履歴

2018.05.01

教皇メッセージ「世界召命祈願の日」、和野信彦神父「日曜日に集まるということ」を掲載しました。

2018.05.01

新規公開しました。

カトリック静清地区共同宣教司牧委員会