教皇メッセージ
教皇メッセージ
「聖ヨゼフ年」2020年12月8日から2021年12月8日まで
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは。
降誕祭から数日後の今日の典礼は、イエスとマリア、ヨセフの聖家族を見つめるようわたしたちを招いています。御子が、あらゆる子どもと同じように、家族のぬくもりを必要としておられたことを考えるのは素晴らしいことです。ナザレの聖家族は、まさにイエスの家族であるがゆえに、家庭の模範です。すべての家庭が、その基準と確かな導きを聖家族のうちに見いだすことができます。御子は、ナザレで聖霊の働きによっておとめマリアの胎に宿られたときに、そのいのちの春を芽吹かせました。そして、だれをも迎え入れるナザレの家の中で、母なるマリアの優しさに包まれ、ヨセフに世話されながら、喜びのうちに幼年期を過ごされました。ヨセフを通して、イエスは神の慈しみに触れておられました(使徒的書簡「Patris Corde」2参照)。
わたしたちは、聖家族に倣いつつ、教育における家族の重要性に改めて目を向けるよう求められています。家族は、希望の地平に向けて開かれ、きずなをつねに生み出す愛に根差していなければなりません。家庭では、真心のこもった交わりが体験されます。ただしそれは、その家庭が祈りの家であるとき、愛情が真正で深く純粋であるとき、ゆるしが不和を打ち消すとき、日常生活の中のとげとげしさが、いたわり合いとみ旨への従順によって和らげられるときのことです。こうして家庭は、快く与えることのできる人すべてに神がお与えになる喜びに向けて自らを開きます。
家庭はまた、外界に、他の人々に、兄弟姉妹への奉仕に、さらには、よりよい新たな世界の構築への協力に向けて、自らの心を開く力を得ることにより、前向きな刺激を与える存在となることができます。家庭は、生き方の模範を通して福音を伝えます。もちろん、どの家庭にも問題があり、口論になることもあります。「神父様、わたしは言い争いをしました。」わたしたちは人間です。弱い者です。だれもがときには家庭内で言い争います。ここで一つ、言わせてください。家庭内でいざこざを起こしても、その日の内に仲直りしましょう。「そうです。言い争いになりました」。それでも、その日のうちに、仲直りしてください。なぜだか分かりますか。何日も続く冷やかな争いほど、恐ろしいものはないからです。何の役にもたちません。
家庭には、つねに心に留めるべき三つのことばがあります。「いいですか」「ありがとう」「ごめんなさい」ということばです。他者の生活に割り込まないようにするために、「いいですか」と言うのです。「こうしてもよいですか。こうしてもかまいませんか」という意味です。「いいですか」。どんな場合にも、ずうずうしく割り込んだりしないでください。第一に「いいですか」ということばで、次は「ありがとう」です。わたしたちは家庭内で何度も助け合い、仕え合います。つねに感謝してください。感謝は崇高な魂の血となるものです。「ありがとう」。そしてもっとも言いにくいのが「ごめんなさい」ということばです。わたしたちはひどいことをして、相手を傷つけることがよくあるからです。「ごめんなさい」。「ごめんなさい」。これらの三つのことばをどうか忘れないでください。「いいですか」「ありがとう」「ごめんなさい」です。この三つのことばが家庭内にあるなら、その家庭は大丈夫です。
使徒的勧告『愛のよろこび』の中で強く説かれているように、家庭を通して福音を伝える手本となるよう、今日この祝日は、夫婦と家庭内の愛の模範を改めて示しつつ、わたしたちに呼びかけています。この勧告は来る3月19日に発布五周年を迎えます。それを機に、『愛のよろこび』について考える特別年が行われます。この年はその内容について深く考える機会となるでしょう(2021年3月19日~2022年6月)。
それらの考察は、教会共同体と家庭が歩みを進める上で役立つでしょう。信徒・家庭・いのちの部署がこの特別年に行う取組みに参加してください。世界中の家族とともに歩む道のりを、ナザレの聖家族、とりわけ献身的な父であり夫である聖ヨセフに委ねましょう。
世界中の家族が聖家族の福音的な模範によって導かれ、新たな人類と、具体的で普遍的な連帯のパン種となれるよう、わたしたちがこれから「お告げの祈り」をささげるおとめマリアが、導いてくださいますように。
2020年12月27日「お告げの祈り」でのことば
「新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り」
2020年4月 日本カトリック司教協議会認可

『今月のメッセージ』 2021年 2月
人生を振り返り、心に残る思い出の写真を上げるとしたら、私は幼馴染の友人たちと撮った白黒のこの1枚を上げます。この写真は今から60余年前、私が小学生だった頃清水教会の夏の林間学校に参加した記念の写真です。前列の男子が私を含む友人たち5人、その後ろに並ぶ制服姿のお姉さんたちは、この年林間学校のお手伝いに来た星美学園中学校に通う私の姉とそのお友だちです。その後姉の友人たち3人は扶助者聖母会のシスターになり、現在も学校で、教会で青少年教育と福音宣教の使命に情熱を注いでいます。私も教員時代を通じてこのシスター方の祈りと助言に支えられ、教員として、またカトリック信者としての使命を追い続けることができたと感謝しています。
私の小学生時代、清水教会では夏休みになると、小学生たちが裾野の不二聖心女子学園の敷地内にあった古い木造校舎をお借りして、林間学校を行っていました。毎年100人以上の子どもたちが涼しい林の中で毎朝のミサと勉強、午後はハイキングをしたり、川遊びをしたりして、一週間以上の共同生活を楽しんだのです。食事の準備は教会のお母さまたちが担当し、寝具や荷物は清水から大人の方々が往復ともトラックで運んでくれました。主任神父様はパリ外国宣教会のジャシェ・アンリ神父様、助任司祭はボンブレッド神父様やロー神父様だったと思います。普段お忙しい神父様方も夏の暑い時はバカンスを兼ねて子供たちと泊っていきました。一緒にトランプ・ゲームをしたり、1チーム20人くらいでサッカーをしたり、本当に楽しい日々でした。その後、夏の林間学校は静岡教会、八幡教会やさらに藤枝教会の子どもたちも一緒になり、安倍川上流の平野や大井川上流の徳山の小学校を借りて続けられ、多い時で200人以上の子どもたちが参加する一大イベントになりました。
今、振り返ってみると幼児洗礼の私にとって、日曜学校と夏の林間学校とが自分の信仰生活を育んだ原点だったと思います。高校生・大学生になった後も、リーダーとして教会学校を続けたことは自然の成り行きでした。大学生活を通じ日曜日になるとアポストラトス(ボランティア使徒職)と称して、東京都内の教会へお手伝いに出かけたり、夏休みには静岡にもどって小学生や中学生の林間学校にも参加し、子供たちと自然の中で共に過ごすことが大きな喜びとなったのです。この体験は私に信仰の喜びを教え、この喜びを他の多くの子供たちと共有したいと思うようになったのです。
大学卒業後、一時企業で働いていたとき、星美学園のシスターから声を掛けられ教師として働くことになったのも、すべて神さまのご計画のもとに導かれたのかもしれません。カトリック学校という恵まれた環境の中で、50年もの間子供たちと接することができたことは、本当に大きな喜びでした。
今年は新型コロナウイルス感染症への対応から、静清地区の小学生サマーキャンプは残念ながら中止となりましたが、次の時代を担う子供たちが同じ信仰のもとに集団生活を体験する機会を今後も大切にしてほしいと思います。まさに私たちの心の中からあふれ出る信仰の喜びこそ、周りの人々に多くの共感を呼び起こす原動力となり、私たちの「信仰を伝える使命」を支えてくれるのだと思います。
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