今月のメッセージ

ローマ教皇フランシスコのメッセージ

第105回「世界難民移住移動者の日」教皇メッセージ

  「移住者だけのことではありません」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、
 信仰は、神の国が地上においてすでに神秘として存在すること(『現代世界憲章』39参照)をわたしたちに確信させます。しかし残念ながらわたしたちは、神の国が今も妨害や反対勢力に直面していることを痛感しなければなりません。武力衝突や戦争がつねに人類を引き裂き、そのために不正義と差別が生じています。地域、あるいは世界規模での経済格差や社会格差を是正することも困難です。そして何よりも、もっとも貧しく恵まれない人々がこれらすべての代償を払っているのです。

 「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人のしもべになりなさい」(マルコ10・43-44)。これは移住者だけのことではなく、後回しにされる人を最優先するということです。イエス・キリストは、世俗の論理に屈することのないよう求めています。それは、自分と仲間の利益のために他者をないがしろにすることを正当化する、まずは自分で他者は二の次という論理です。そうではなく、キリスト者の真のモットーは「後回しにされる人を最優先に」です。 (中略)

 「個人主義的な精神は、隣人への無関心を増長させる温床です。その精神は、単なる売買の対象として他者をとらえ、その人間性に無関心になるよう仕向け、ついには人々を冷ややかな臆病者に仕立て上げます。貧しい人、疎外された人、社会の中で後回しにされる人を前にして、わたしたちもそのような思いにとらわれることがよくあるのではないでしょうか。また、わたしたちの社会には、後回しにされる人がどれほどいることでしょう。なかでもわたしは、移住者のことをとりわけ考えます。彼らは困難と苦しみを抱えながらも、尊厳をもって安心して暮らせる場を、時には死に物狂いで探しながら日々を送っています」(「外交使節団へのあいさつ」2016年1月11日)。福音の論理では、後にいる者が先になるのですから、わたしたちは仕える者にならなければなりません。 (中略)

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、現代の移住現象が抱える課題への対応は、受け入れる、守る、励ます、共生するという四つの動詞にまとめることができます。しかし、これらの動詞は移住者と難民だけに当てはまるのではありません。それらは、受け入れられ、守られ、励まされ、共生することを必要としている、周縁で生活するすべての人に対する教会の使命を表しています。これらの動詞を実践するなら、わたしたちは神と人間の国の構築に貢献し、すべての人の全人的発展を促すと同時に、国際社会が自ら掲げる持続可能な発展という目標へと近づくのを助けることができます。そうした取り組みなしには、その目標の達成は困難なはずです。

                                 2019年9月29日

フランシスコ教皇

『今月のメッセージ』 2019年 9月



「これからの」そして「これからも」

                 静岡カトリック教会信徒 菊地 潔

和野信彦神父

 午前5時30分 今朝も長崎の浦上天主堂の鐘の音で目が覚め、洗顔を済ませて聖堂へダッシュ!これは、今から遡ること40数年前、私が小神学校で神学生として過ごした6年間の朝の光景です。

 この記事を書いているのは、立秋を過ぎたので暦の上では秋。教会のお知らせも秋に開催される「一粒会大会」参加の呼びかけが行われています。
 司祭召命のために祈りを捧げることとその運動を中心する一粒会の活動を耳にするたびに私もかつては司祭を目指して長崎で6年間過ごしたことを懐かしく思い出します。浦上天主堂から数百メートルのところに小神学校があり、散歩コースには平和公園とロケーションは申し分ありません。当時の小神学生は、私がいた修道会約35名、教区約50名、他修道会約5名。同じ中学・高校で学び、中学校は1クラスで7割が神学生、カトリック信徒の生徒を含めると8割がカトリック信徒です。初金のミサは、後ろを振り返るとカトリック信徒の教職員がずらりと並び、生活指導の時間以上に緊張したことを覚えています。

 神学校の生活は、浦上天主堂の鐘の音で起床(学年が上がると聞こえなくなってくるのはなぜでしょう)、朝の祈り、ミサ、清掃、学習、朝食、登校、下校、祈り、夕食、わずかな自由時間、学習、祈り、就寝(学習)と祈りで始まり祈りで終わります。当時、中学1年生の私が初めて日課表を見た時の衝撃はいかばかりか。ところが長崎市内、時津、五島から来た同級生は違和感なく過ごしているのです。家庭での生活も神学校とそれほど変わることなく、信仰も生活の中の一部として溶け込んでいたのです。とはいえ、30数名の集団生活は厳しくも楽しく、今では味わえない刺激的な毎日でした。

 そんな厳しくも楽しい小神学生の6年間も、高校3年時には将来の選択肢が多く見えてきて、大神学校への進学は断念し、東京での生活が始まると自然と教会への道も遠のいてしまいました。静岡に戻ってからは、現在、教会委員会の委員長を務めさせていただいていますが、教会の信徒の皆さんからいろいろな場面で本当に何回も何回もお声かけ頂き今の職に就かせていただき感謝申し上げます。
 
  3年前に小神学校60周年記念式典があり、久々に長崎を訪れました。神学校訪れる前に少し時間がありましたので、懐かしの朝の鐘鳴らす浦上天主堂へ行くと偶然にも神学校時代の先輩と会うことができ、先輩の同級生でもある浦上教会の主任司祭とお話しする機会を頂きました。神父様から「信徒の皆さんの召命の祈りは、司祭の養成ばかりでなく、多くの元神学生が教会でいろいろな役割を担い活躍しているところにも繋がっているのです。決してその祈りを忘れずに今後のますますの活躍を期待しています。同時にご自身もこれからの召命へこれからもお祈りをお捧げ下さい」とお言葉をいただき、司祭への道を断念したことへの負い目が少なからずありましたが、その言葉で肩の荷が少し軽くなりました。

  現在、私がいた小神学校は、小神学生1名です。全国的に召命は厳しい状況が続きますが、これからのためにこれからも続けてお祈りを捧げていきましょう。   

長崎大司教区神学院

    長崎大司教区神学院

 ”収穫は多いが働き手は少ない”(ルカ 10:2)

一粒会


更新履歴

2018.05.01

教皇メッセージ「世界召命祈願の日」、和野信彦神父「日曜日に集まるということ」を掲載しました。

2018.05.01

新規公開しました。

カトリック静清地区共同宣教司牧委員会