今月のメッセージ

ローマ教皇フランシスコのメッセージ

    第53回「世界平和の日」教皇メッセージ
             (2020年1月1日)
  「希望の道である平和――対話、和解、エコロジカルな回心」

平和――障害や試練に直面する中で歩む希望の道のり
 平和は、尊い宝、わたしたちの希望の対象、全人類が切望してやまないものです。平和を望むことは実存的な緊張を伴う人間の姿勢であり、その望みがあるからこそ、現在がときに困難な状況にあっても、「わたしたちはそれを生き、受け入れることができます。そのためには、現在が目標へと導いてくれるものでなければなりません。わたしたちがこの目標を確信できなければなりません。そしてこの目標が、労苦して目指すだけの意味をもつものでなければなりません」。このように希望とは、たとえ克服できそうもない障害に直面しても、わたしたちを踏み出させ、前に進む翼を与えてくれる徳なのです。 (中略)

 戦争は、多くの場合、相手の違いを受け入れられないことから生じていることは言うまでもありません。そうした不寛容は所有欲や支配欲を助長します。それは、利己主義、傲慢、憎しみによって、人間の心の中で生まれます。憎しみが、破壊に、相手を否定的なイメージで固めることに、相手の排除や抹殺に至らせるのです。戦争は、さまざまな関係の歪み、覇権への野心、権力の濫用、他者や異なるものを障害と見なすことで生じる恐怖心によってあおられます。そしてこれらすべてが、戦争によってさらにあおられるのです。

 先日の日本への司牧訪問で強調したように、逆説的ではありますが、「わたしたちの世界は、倒錯した二分法の中にあります。それは、恐怖と不信の心理から支持された偽りの安全保障を基盤とした安定と平和を、擁護し確保しようとしているからです。人と人の関係を毒し、可能なはずの対話を阻んでしまうものです。国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が、相互依存と共同責任によって築く未来に奉仕する、連帯と協働の世界的な倫理によってのみ実現可能となります」。

 脅威にさらされた状況はことごとく、不信を助長し、自分の世界に引きこもるよう人々を仕向けます。不信と恐れは、決して平和的な関係に結びつかない悪循環で、関係性をもろくし暴力の危険を増大させます。この意味では、核の抑止力も架空の安全をもたらすにすぎません。

 ですから、絶滅への恐怖で世界の安定を維持できるなどと、極めて不安定な状況の中で、核の深淵に立ち、無関心という壁の内側に閉じこもったまま、言い張ってはなりません。そうした場では、互いを大切にせずに、人や被造物を使い捨てにするという悲劇への道を開くような、社会経済的な決断がなされるのです。それでは、どうしたら平和と相互尊重への道を切り開けるのでしょうか。どうしたら脅威と恐れに基づく不健全な論理を打ち破れるでしょうか。どうしたら現在蔓延している不信の流れを断ち切れるでしょうか。

 わたしたちは、神という共通の源に根差した、対話と相互信頼のうちに実践される真の兄弟愛を追い求めなければなりません。平和への願いは、人間の心に深く刻まれています。決して、それより劣るものに甘んじてはなりません。 

フランシスコ教皇
フランシスコ教皇訪日記念ミサ

『今月のメッセージ』 2020年 2月


信仰を伝える力を育てる部門」
                             
   「侍者服マジック」

                      静岡教会信徒 教会学校 長谷川美弥乃

静清地区5教会

 静岡教会教会学校のリーダー代表をさせて頂いております長谷川です。
 少し前の話になってしまいますが昨年末のクリスマス、神さまからとても素敵な贈りものを頂きました。クリスマスの一番大きなプレゼントはもちろん幼子イエス様です。でも、この日はそれだけではありませんでした。

  24日のミサに預かった方々は、きっとお気づきになられたでしょう。この夜、侍者を務める子供たちで内陣は混み合っていました。その中にひときわ小柄な男の子、ついに侍者デビューを果たした二年生でした。初聖体もとうに済ませていました。そろそろ侍者をお願いしなければと、22日のクリスマス会で誘ってみました。しかし正直不安もありました。けれど彼は、初めての白い侍者服に身を包み、先輩たちに混じって真剣な眼差しでミサ奉仕の仕事を務めました。とても立派でした。

  ミサに与る子供たち、とりわけ低学年の男の子たちにとって、1時間近いミサの間ずっとお行儀良く席に座っているのはとても大変なことです。泳ぐのを止めると窒息してしまうサメのように、彼らはとにかく思い切り体を動かしていないと生きていけないらしいのです。そんな子供たちが侍者服を着て内陣に上がると、まるで別人のように真摯な奉仕者になります。リーダーたちはそれを「侍者服マジック」と呼んでいます。神さまのお招きと聖霊の助けの賜物を実感する喜びの時です。彼もいつか神さまのよき働き手、教会共同体の支えとなりますようにと、感謝と共に祈りました。
新人君になぜ侍者を?と尋ねました。「神父様が食べている大きなパンが食べたいから!」
先輩が教えます。「運が良ければ大きいのが分けてもらえるよ。小さいのよりおいしいんだ!」

  私事になりますが、私は2000年ミレニアムの年に受洗のお恵みを頂きました。そして翌年から教会学校のお手伝いをしております。その時の教会学校の子供たちは、信徒としてみんな私の先輩でした。マンガとアニメと子供の本が好きという以外、子供たちとの接点は何もありません。そんな私がリーダーだなんて、一体何をすればいいのか、信仰を伝え育む大事な役目が担えるのか、本当に私でいいのか。以来自問自答・試行錯誤、たくさんの悩みと喜びと共に、今も教会学校に一番育てられているのはこの私です。未熟な信仰を磨くために神さまが、私にこの仕事を選んで下さいました。本当に困ったときは必ず助けて下さいます。パズルのピースがピタリとはまるように、必要なお恵みが周到に準備されているのに後から気づきます。
 私を教会学校に招かれた神さまのお恵みに深く感謝しています。

 ということで、皆様、教会学校のリーダーになってみませんか?子供たちは神さまのお恵みそのものです。年齢・経験不問。必要な物は必ず、神さまが与えて下さいます。神さまのお役にたてて、おまけに自身の最高の信仰養成のチャンスですよ。

静清地区合同教会学校

   2020年静清地区合同教会学校

侍者


静清地区キャンプ

     静清地区夏の合同キャンプ

更新履歴

2018.05.01

教皇メッセージ「世界召命祈願の日」、和野信彦神父「日曜日に集まるということ」を掲載しました。

2018.05.01

新規公開しました。

カトリック静清地区共同宣教司牧委員会