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今月のメッセージ

教皇メッセージ

「幼子イエスの優しさに心をゆだねよう」
 教皇フランシスコはプレゼピオのための幼きイエス像を祝別された。

 教皇フランシスコは、12月13日(日)、バチカンで正午の祈りの集いを持たれた。
 「喜びの日曜日」と呼ばれる、この「待降節第三主日」には、毎年、教皇によって、プレゼピオ(イエスの降誕を再現した馬小屋の模型)用の幼きイエス像が祝別される。 例年、ローマ教区の子どもたちが幼きイエス像をそれぞれ手にして大勢集うこの行事であるが、今年は新型コロナウイルスによるパンデミックのため、教区を代表し、いくつかの家族からなるグループが参加した。

 教皇はこれらの家族たち、またそれぞれの教会のオラトリオや家庭でビデオを通して参加する子どもたちに、次のように語りかけられた。
 「今年は、パンデミックのために、広場で参加する皆さんの数は多くはありませんが、大勢の子どもたちが、皆、オラトリオや、それぞれの家庭で、メディアを通して参加しているのを知っています。 皆さん一人ひとりに挨拶をおくります。そして、これから幼きイエス像を祝別します。皆さんの幼きイエス像は、希望と喜びのしるしとして、プレゼピオの中に置かれることでしょう。 さあ、静かに、幼きイエス像を祝別しましょう。… 父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。

 皆さんがそれぞれのおうちのプレゼピオの前で、ご家族と共に祈る時、幼子イエスの優しさに心をゆだねてください。 貧しくか弱い幼子イエスは、わたしたちにご自身の愛を与えるために、わたしたちの間にお生まれになりました。
 皆さん、よい日曜日を。喜びを忘れてはなりません。キリスト者は、たとえ試練にあっても、心に喜びを持っています。それは、イエスがそばにいるからです。イエスが、わたしたちに喜びをもたらすのです」。
 教皇は、幼子イエス像の祝別で、このように話された。


「諸宗教の連帯による傷ついた世界への奉仕
─コロナ危機とその後における省察と行動を求めるキリスト教の呼びかけ 
              
邦訳版公開にあたって

 新型コロナウイルス感染症は、昨年末の発生以来1年を迎えようとしている今もその拡大はとどまるところを知らず、感染者と死亡者の数は増え続けています。ワクチン開発が進んでいるというニュースがある一方で、世界の皆にそれがいつ届くのかは皆目分からず、出口の見えない不安が満ちています。一方でポストコロナへの展望や提言も聞かれるようになり、パンデミックの危機を乗り越えた後の世界へと視点が変わりつつあります。

 しかしながら、未だウイズコロナの真っただ中にいる私たちにとっては、まず注視するべきは危機におびやかされている弱い立場の人たちであり、大切なのは来年何をするかではなく、今日何ができるのかを考えることでしょう。

 世界教会協議会(WCC)と教皇庁諸宗教対話評議会(PCID)による共同文書であるこの呼びかけは、次のような目的のためです。
イエスは、仕えられるためではなく仕えるために来られました(マタイ20:28)。善いサマリア人の愛と寛大さに倣って、弱い人、弱い立場に置かれた人を支え、苦しむ人を慰め、痛みと苦しみを和らげ、すべての人の尊厳を確保するよう努めましょう。心を広げて対話し、手を広げて連帯し、癒やしと希望に満ちた世界をともに築くことができますように。(17頁「結論」より)

 21世紀最初の世界的な危機を乗り越え、亀裂と分断を生み出す排他主義に対抗していくためには、教派や宗教の壁を越えて、神を信じる人たち皆による連帯こそが必要だということを、この呼びかけは力強く語っています。

 この呼びかけが、教会で、個人で、グループで読まれ、提案に挙げられている具体的な行動を実践するきっかけになることを願ってやみません。「恐れるな。わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(ルカ2:10-11a)。クリスマスを1カ月後に迎えるすべての人たちの上に、希望の光が輝くようともに働きましょう。
2020年11月22日
            日本カトリック司教協議会 諸宗教部門
                   責任司教 パウロ酒井俊弘
                   担当司教 ペトロ中村倫明
  *邦訳版全文(PDF)

   「新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り」
          2020年4月 日本カトリック司教協議会認可

Papa' Crest
フランシスコ教皇訪日記念ミサ

『今月のメッセージ』 2020年 12月


 キリストから派遣されている私たち

               静岡教会信徒 坂本 塁

静清地区5教会

主の御降誕おめでとうございます。
 今年はコロナ禍により、例年のようにパーティーなどで盛大なお祝いはできないかもしれませんが、自分なりに主の御降誕の意味を思い返し、心静かにお祝いをしたいと思います。

 私は、昨年9月末に軽井沢で開催された横浜教区懇談会に参加する機会を得ました。これに参加する前に、小冊子「わたしたちがめざしている共同宣教司牧とは」を読み、次の言葉が印象に残ったのです。
“職務としての区別はあっても、洗礼を受けたものという点ではすべてのキリスト信者が等しく同じ使命を受け、「神の国」の実現のために働きます”
この言葉は、自分と教会との関わり方、信仰を見直したとき、二つの点で私の意識と違っていたからでした。
   一つは、司祭修道者は指導者的な立場であり、同じ使命を受けているとは思っていなかったこと。
   二つ目は、神の国の実現のために働くという意識が乏しかったこと。
これらは、単純に私の不勉強による面が強いのかもしれないが、私の中でこの二つを意識することは、とても大きな変化であったと思います。

  幼児洗礼を受け、親に連れられ何となく教会へ通った子供の頃の私は、ミサの最後に派遣の祝福が終わるとやっと終わった!という解放感に喜びを感じた事を覚えています。小中高と成長していく過程においても、何となく教会というものが私の日曜日に自然と存在し、教会へ行く事が当たり前の環境で育ったのは、とても幸運で恵まれていたと振り返ることができるのです。

 そんな敬虔でないカトリック信者である私が、大人なってからも教会につながっていられたのは不思議でもありますが、私が信仰を大切だと感じ教会に通ってきたのは、苦しい時や友人との付き合い方に迷いが生じた時に、祈ることやミサ中の福音・司祭の説教を通して、救われる思いや迷いが消えるような気持ちになった経験があったからだと思います。しかし、今までの私は自分だけの狭い考えの中に閉じこもってしまうような個人主義的信仰であったと思います。

 キリストに派遣されている意識など無く、自分の信仰は大切にしようとしているが、それを伝えようとする気持ちは殆ど無かった。また、教会が多くの人の力によって成り立っていることすら認識していなかったように思うのです。
共同宣教司牧委員として様々な事に関わり、少しずつ教会の現状を理解することができました。そして、教区懇談会へ参加することにより、派遣の祝福を再認識し、“キリストによって派遣され多くの人に神の愛を届ける使命を果たすこと”を心に留めるようになったことは、キリストに遣わされる者として少し成長できたのではないかと思っています。

 静清地区・各小教区は、多くの諸先輩方のご尽力によって成り立ってきました。本当に多くのご苦労があった事は想像に難くなく、今の教会があることに感謝の気持ちで一杯です。しかし、今後を考えると、現在の教会の状況が将来に渡って続くと考えるのは難しいかもしれません。少子高齢化などの社会状況の変化に対応していく必要があります。

 来年には「静清地区の今後について検討する会(仮称)」が設置される予定です。そこでは皆様により多くのご協力をいただき、諸課題について検討していくことが必要になるでしょう。
 キリスト者一人ひとりが神から与えられた三つの使命を心に留め、私も微力ながら働いていきたいと思います。

梅村司教紋章

 梅村司教紋章「交わりのなかの交わり」

クリスマス


静岡教会

     静岡教会聖堂

更新履歴

2018.05.01

新規公開しました。

カトリック静清地区共同宣教司牧委員会