教皇メッセージ
教皇フランシスコ
第55回「世界広報の日」教皇メッセージ(2)
直接見ることに代わるものはない
コミュニケーションにおいては、直接見ることに代わるものは何もありません。経験しなければ分からないことがあるのです。人はことばだけでなく、目や声の感じ、行為によっても物事を伝えます。出会った人々を引きつけるイエスの強い魅力は、説いておられることが真理であるために生じたものですが、そのことばのもつ説得力は、まなざし、態度、さらには沈黙とも無縁ではありません。弟子たちはイエスのことばを聞くだけでなく、話しておられるイエスを見ていました。ヨハネが記しているように、まさにイエスに―人となられたみことば―において、みことばはみ顔となられ、目には見えない神は、ご自分を見え、感じられ、触れられるものとなさったのです(一ヨハネ1・1-3参照)。ことばは、それが「見てもらえる」ときにのみ、あなたを経験の中に、対話の中に、巻き込むときにのみ力を得ます。だからこそ「来て、見なさい」という呼びかけは、かつても今も必要不可欠なのです。
この時代においても、社会生活のあらゆる場面で、商業においても政治においても、いかに中身のない弁舌が氾濫しているかを考えてみましょう。「(彼)の無駄口ときたら、まさに窮(きわま)るところなし、……一俵の籾殻の中にまぎれこんだ一粒の小麦みたいなもの、見つけだすのに一日がかり、見つかったはいいが、見ればその甲斐なしという代物さ」。英国の劇作家のこの痛烈な台詞は、キリスト教の伝達者であるわたしたちにも通じるものです。福音のよい知らせは、人と人の、心と心の出会いによって世界に広がりました。それは、「来て、見なさい」というあの呼びかけにこたえた人たち、イエス・キリストをあかしした者のまなざし、ことば、行為に透けて表れる「あふれる」人間性に胸を打たれた人たちです。すべてのツールが大切です。タルソス出身のパウロと呼ばれたあの偉大な伝達者も、EメールやSNSを利用したに違いありません。ですが、彼の説教を聞き、幸運にも彼とともに過ごし、集会で、あるいは個人的に話をする中で彼と会った同時代の人々の心を捕らえたのは、パウロの信仰であり、彼の希望であり、彼の愛にほかなりません。パウロのいるときにその行動を見て、神の恵みによって彼が伝えている救いの知らせが、いかに真理であり、人生にとって有益なものであるかを検証したのです。この神の協力者が直接会いに行けない場所には、その弟子が遣わされ、キリストに結ばれた自身の生き方をあかししました(一コリント4・17参照)。
「わたしたちの手には聖書が、目前には現実がある」。聖アウグスティヌスはこう主張し、聖書にある預言の正しさを現実の中に見いだすよう勧めました。このように、イエスとの出会いによって生き方が変えられた人々の明快なあかしをわたしたちが受け入れるたびに、福音の出来事は今日にもまた起きているのです。二千年以上もの間、連綿と続く出会いによって、キリスト者の冒険の魅力が伝えられてきました。ですから、受けて立つべきわたしたちの課題は、人々と、彼らのいる場で、そのままの彼らと出会うことで伝えることなのです。
主よ、教えてください。
自分の内から出ること、
真理を求めて歩き出すことを。
来て、見るよう教えてください。
聞くこと、
偏見を深めぬこと、
結論を急がぬことを、教えてください。
だれも行きたがらないところへ行くこと、
理解するために時間をかけること、
本質的なものに目を向けること、
うわべだけのものに惑わされぬこと、
真理とそれと見まごうものとを識別することを、教えてください。
あなたがこの世におられることに気づけるよう、恵みを注いでください。
見たことを人に伝えるために欠かせない、誠実さをお与えください。
ローマ サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂にて
「新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り」
2020年4月 日本カトリック司教協議会認可

『今月のメッセージ』 2021年 8月
「被昇天の聖マリアと共に」
静清地区協力司祭 岡村 巌神父
8月15日教会は、聖母被昇天祭を祝います。神の母聖マリアが、地上の生活を終えた後、肉身も霊魂と共に天の栄光にあずかるようにされたことは、神によって啓示された真理である、と全教会の総意のもと、1950年11月ピオ12世教皇によって宣言されました。
マリア様のご死去、ご復活、ご昇天などは、聖書の中では明らかではありませんが、長年の祝いが教会の指導者の賛成を得て、教義として決定されたのです。神のおん子イエス様をお産みになり、共に歩まれた聖母に倣い、私たちもイエス様と心を一つにしながら、やがて三位一体の愛の交わりのうちに迎えられることを願いたいと思います。ここでしばらく、救いの歴史を振り返ってみましょう。
神によって選ばれたイスラエルの民は、他のどの民よりも貧弱でしたが、神の愛に守られて救いの道を歩きました。(申命記7:6)
神の力に助けられてエジプトを脱出し、約束の地カナンに定着し、士師(指導者)の時代を経て、王制の時代に移りました。 周りの諸外国の脅威にさらされていた時、メシア(救い主)が生まれることが予言されました。「エッサイ(ダビデの父)の根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊……」(イザヤ11:1)それ以降、イスラエルの若い娘たちの間にメシアの母となる希望が、広がっていたと思われます。それから約700年後、ナザレという静かな村に住むマリアのもとに、突然天使が舞い降りました。マリアの心は、当初恐れに襲われましたが、神のことばを信じ、すべてを神にゆだねて受け入れました。(ルカ1:38)
神のみ前では、はい、だけが必要なのです。 律法の規定により、幼子誕生の40日目、神殿に幼子の奉献に上った時、そこで仕えていたシメオンから、この幼子がいつか反対を受けるしるしとなること、マリア自身も剣で心を刺し貫かれるのだと言われました。(ルカ2:35)
幼子イエスは成長し、養父ヨセフの大工の仕事を手伝いながら、ナザレでは平穏な時が流れました。公生活に入り、目立ったことは、特に貧しい人、病人に出会うと、すぐに救いの手を差し伸べたことです。それも、律法で禁じられていた安息日であろうと躊躇せず、皆で全快の喜びを分かち合ったのでした。
弟子たちの選出、多くの信者の信仰心を集め、神の国の発展に力を注いでいた時、律法を不文律のように守り通そうとするファリサイ派の人たちの怒りを刺激しました。最後の晩餐の後、祈りの園ゲッセマネで捕縛され、ローマ軍の関与のもと、金曜の朝早くから、裁判にかけられ、終わりに十字架刑の宣告を受けられました。
鞭打ち、茨の冠、十字架の道行きの姿は、神のおん子のあるべき姿ではあろうはずがありません。しかし、それは主であるおん父のみ心であり、イエス様は言われました。「人の子は使えられるためではなく、仕えるために、また多くの人の身代金(贖い)として自分の命を献げるために来た」(マタイ20:28) 聖母マリア様は、生涯を通してわが子の歩みにいつも一緒でした。十字架上のイエス様の苦しみをご覧になり、ご自身のみ心も同じ苦しみ、いやそれ以上の苦しみのため、するどい剣で刺し貫かれたのでした。教会は、マリア様がイエス様と共に贖いの業に参加したことで共に贖った者、共贖者(Co-Redemptorコ・レデンプトール)とお呼びしています。
私たちも、山あり谷ありの道を歩いています。マリア様と共に、自分の罪、また全世界のあらゆる悪の贖いに日々参加するように、そして聖母マリアの被昇天の栄光に一致するように招かれていると思います。
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お別れのご挨拶
幼きイエス会静岡修道院 Sr.篠崎千恵子
皆さま こんにちは!
幼きイエス会(旧サン・モール修道会)のシスター篠崎と申します。静岡に住んでわずか6年しかいない私がご挨拶を書くのはおこがましいことですがお許しください。
この度、幼きイエス会は、8月末をもって静岡修道院を閉じることになりました。
1902年(明治35年)パリ・ミッション会の要請で5名のシスターが来静し、仏英女学校という小さな種をまかれました。静岡教会のお隣りに修道院と学校がありました。
その後、不二高等女学校となり、第二次世界大戦での苦難を乗り越え、先人のシスター方、教会関係の皆様、学園の先生方、卒業生・保護者の方々のお陰でここまで来られ、静岡雙葉学園へと成長していきました。来年は120年になります。
私共も慣れ親しんできた静岡を離れることはとても辛いことです。神様のお望みの時なのでしょうか。高齢者となってしまった今は、「ありのまま」を受けるしかありません。
静清地区の皆さま、静岡教会の皆さま、大変お世話になりました。心からお礼申し上げます。 ありがとうございました。
更新履歴
2021.4.01
2021.3.01
2021.2.01
2020.11.01
2020.10.01
2020. 8.01
2020. 7.01
2020. 2.01
2020. 1.01
2019. 12.01
2019. 11.01
2019. 10.01
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2019. 4.01
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2019. 2.01
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