教皇メッセージ
2021年
「貧しい人のための世界祈願日」11月14日
親愛なる兄弟姉妹の皆さん
「貧しい人に手を差し伸べよ」。このことばは、ポケットに手を入れたまま、貧困に心を揺さぶられることのない人の姿をかえって際立たせます。彼ら自身も往々にして、貧困を生じさせることに加担しています。そうした人々は、無関心と冷笑主義を日々の糧としています。これまで述べてきた、惜しみなく差し出される手とはまったく違います。事実、コンピューターのキーボードを素早く打ち、世界のある場所から別の場所へとお金を動かし、ごく限られた少数の資本家の富と、大多数の人の困窮や国家規模の財政破綻を決定づけるために伸ばされる手があります。
死と貧困の種を蒔くために武器を用いる人──その中には子どももいます──の手に武器を売り渡して蓄財しようと伸ばされる手があります。金持ちになって、贅沢をして、その場限りの自堕落な生活をするために、死をもたらす薬物を闇取引しようと伸ばされる手もあります。安易に不正な利益を得るために、賄賂を渡そうとして伸ばされる手があります。また、偽善者らしく気取ったそぶりで、自分は守りもしない法を制定するために伸ばされる手もあります。
こうした状況の中で、「排除された人々は待ち続けるのです。他者を排除する生活様式を維持するために、また自己中心的な理想に陶酔するために、無関心のグローバル化が発展したのです。知らず知らずのうちに、他者の叫びに対して共感できなくなり、他者の悲劇を前にしてもはや涙を流すこともなく、他者に関心を示すこともなくなってしまいます。まるですべては他人の責任で、わたしたちには責任がないかのようです」(使徒的勧告『福音の喜び』54)。死を蒔くこうした手が、全世界の正義と平和の道具になるまで、安心することはできません。
「何事をなすにも、おまえの人生の終わりを心に留めよ」(シラ7・36)。このことばによって、シラ書はこの考察を締めくくります。このことばには二つの解釈があります。第一の解釈が示しているのは、わたしたちは自分の人生の終わりについてつねに考えなければならないということです。同じ定めにあることを思い起こすことは、自分よりも貧しく、同等の可能性に恵まれなかった人に目を向けて生きる助けとなります。一方、第二の解釈は、むしろ目指すところに、つまり皆が向かっている目標に焦点を当てています。それは、計画を実現させ、倦むことなく最後まで旅を続けるよう求められる人生の目的です。もちろん、わたしたちのあらゆる行為が目指すのは、愛以外にはありえません。愛こそが、わたしたちが目指す先であり、何があってもそこから目をそらしてはなりません。
この愛は、分かち合い、献身、そして奉仕ですが、それは、まず自分たちが愛されていること、そして愛するよう駆り立てられていることに気づくところから始まります。この目指す先は、子どもが母親の微笑みに接し、ただ存在しているだけで愛されていると感じるときに現れるものです。貧しい人とわたしたちが交わす微笑みも、愛の源であり、それにより喜びのうちに生きられるようになります。そうして、自分の存在や提供した援助を目立たせず、キリストの弟子としての生き方にのみ喜びを覚える人の微笑みによって、差し出された手はなおも豊かにされるのです。
だれよりも貧しい人の母でおられる神の母が、貧しい人と日々出会いながら歩むこの旅に寄り添ってくださいますように。おとめマリアは、社会の片隅に追いやられた人の困難と苦しみをよくご存じです。ご自身も馬小屋で御子を産んだからです。そして、ヘロデ王による迫害から、夫のヨセフと幼子イエスとともに他国に逃れることになりました。聖家族は数年の間、難民として暮らしたのです。貧しい人の母であるマリアへの祈りにより、マリアの愛する子らと、キリストの名においてその子らに仕える人とが一つに結ばれますように。そして、差し伸べられる手が、分かち合いと、取り戻された兄弟愛による抱擁へと姿を変えますように。
2020年11月15日 ローマ サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂にて
「新型コロナウイルス感染症に苦しむ世界のための祈り」
2020年4月 日本カトリック司教協議会認可

『今月のメッセージ』 2021年 11月
『天使の聖母宣教修道女会について』
天使の聖母宣教修道女会静岡修道院 Sr.深堀美智子
人の往来の遮断というままならぬ出来事に困惑する今日、常に人々の中にあって「私は全ての人に対して全ての者になりました」(1コリント9)のパウロの言葉を深く尊敬し、全世界に行って全ての人に福音を告げ知らせる事に熱意を燃やされた創立者の想いに、私達は初心に戻り今年の9月8日の開会式から新たに歩む準備の中で、来年創立100周年を迎えます。
この機会に会の紹介をさせて頂きたいと思います。1888年カナダ、ケベック州で創立者メール・マリー・サクレクールは熱心なカトリックの家庭に生まれ、幼い時から宣教の熱意を持ち17歳で無原罪の聖母修道会へ入り、初誓願後中国の広東に派遣されカテキスタ養成にかかわりました。その頃、当時として一般的であった、布教国の国民を劣ったものとする見方に彼女は霊の悲しみを感じ、この国の人々が自力で歩む法人の会を始めたいと思い、有期誓願終了後カナダに戻り退会したのでした。
その後、故郷の司教様に相談して1915年司教の許可のもと、同志の女性と中国へ赴き一人の若い中国女性、後の創立協助者メール・マリーガブリエルを受け入れ、汕頭教区で使徒職を開始しました。ところが同伴の姉妹の死という試練の後、カナダに戻り数年の祈りと忍耐と困難の後、1919年カナダ、レノックスビル市に新修道会を設立、丁度、教皇ベネディクト15世の回勅が発布された年、「布教地の国民を尊重し活動における人々の可能性を認める」との宣言がなされました。
1922年9月8日教会法に基づいて、「天使の聖母宣教修道女会」の名のもとに設立が許可され、8名の最初の誓願式が執り行われ、直ちに5名が中国へ出発しました。創立者は25年間中国で姉妹とともに宣教・養成に努め、念願であった中国人修道会を設立しました。第2次世界大戦後、中国の共産化のため世界の各地へ飛躍する機会となりました。(日本、ペルー、タンザニア、コンゴ、ルワンダ、ブラジル、香港、フィリピン、ベトナム)
カナダに戻った創立者は宣教への燃えるような望みの中、再び65歳でペルーへ出発、80歳になりカナダに戻り、1979年8月1日天使の聖母の祝日の前日神の元に戻られました。「神は人を分け隔てなさらない事がよく解りました。どんな国の人でも神を畏れて正しい事を行う人は神に受け入れられるのです。」信仰と大胆さを持ってキリストにおいて一つになる様に、全ての階級・文化・民族の壁を倒し、それを超えた生涯、「全てにおいて全てとなる」事に燃えるような神への信頼と信仰の中に自分を無くした生涯でした。
更新履歴
2021.4.01
2021.3.01
2021.2.01
2020.11.01
2020.10.01
2020. 8.01
2020. 7.01
2020. 2.01
2020. 1.01
2019. 12.01
2019. 11.01
2019. 10.01
2019. 9.01
2019. 7.01
2019. 6.01
2019. 5.01
2019. 4.01
2019. 3.01
2019. 2.01
2019.1.01
2018.12.01
2018.11.01
2018.05.01
新規公開しました。